戦え!アルカイザー

日々のこととか、医療のこととか、社会のこととか

パラリンピックのことと多様性のこと

まただいぶ開いてしまった

なかなか続かんなあ

反省

 

昨日男子車いすバスケットボールの決勝をたまたま見てて

めちゃくちゃいい試合でおもしろかったのと

閉会式のパフォーマンスもすごくよかったなと思って

ちょっとパラリンピックについて考えてみました

 

多様性を認めよう、てのは世界的な潮流だし

人種、性、障害、貧困などに対するあらゆる差別を無くそう

みたいなことに関しては完全に同意しますけど

それが進んでいった先には

オリンピックとパラリンピックの統合と

競技、部門、階級の細分化

があるということなのかな、と思います

 

義手や義足をその人の手足と考えるなら

車いすもその人の脚なわけで

そこを差別無く捉えるなら

そもそもオリンピック、パラリンピックって分けるのもおかしい気がしてきます

本人が、この競技なら自分はいけると思えば

障害のある人がオリンピックに出たり

健常人がパラリンピック出ても問題ないですよね?

もちろん、参加するにあたって条件は必要なので

ボクシングで体重別に階級が分かれるのと同じように

例えば

男女混合バスケ車いすなし、男女混合バスケ車いすあり、男子バスケ車いすなし、男子バスケ車いすあり、女子バスケ車いすなし、女子バスケ車いすあり

て感じでフラットに分かれていくことになるんじゃなかろうか

部門、階級でどんどん細分化されて

結果、それぞれの競技人口は減っていくのかもしれないな、と思いました

多様性を認めるようになっていった結果

みんなバラバラの方向を向いて進んでいくことになる、みたいな

 

別にそれが悪いとは思わないけど

多様性を認めるということと

みんな一緒に盛り上がるということは

両立が難しいでしょうね

 

スポーツで対戦して高いレベルで競い合うためには

やっぱりある程度の母集団が必要になる気がします

車いすバスケットボールはパラスポーツの中では花形な気がするし

めちゃくちゃゲーム性高くておもしろいと思うんですが

それはやっぱり競技人口が多いからこそ洗練されてきた部分があると思います

適切なクラス分けとルール設定

相当難しいよな、と思います

 

世の中は

1.マイノリティとは分断していたけれど、マジョリティはある程度まとまっていた

という段階から

2.マイノリティを含めて全体で統合する

というとこに行こうとしているけれど

3.マイノリティを含めて全体で統合したうえでまとまる

という段階にいくのは

すごく大変だろうな

 

世の中の差別を減らしていき

マイノリティを統合した結果

全体がまとまるのではなく

細かい分類がより鮮明に浮き上がっていき

結果、分断が進んだりして

 

よくわからなくなってきました

 

終わります