戦え!アルカイザー

日々のこととか、医療のこととか、社会のこととか

男性の育休

実は12月に第三子が産まれたので

12月末頃から2月半ばにかけて育休をとってました

仕事行かなかったらそこそこ余裕のある生活ができるかなと思いきや

第三子以外の一家全員が体調を崩し

みんな回復してきたと思ったら

妻が短期間に2度体調を崩し

私がほぼワンオペで子どもたちの面倒を見る

という期間が1週間ほど続きました

家族と過ごす時間が多く、充実してましたが

正直とてもしんどかったです

 

まあそれはいいとして

実際に育休をとってみて

やはり男性もとったほうがいいなと強く思います

男性が育休をとるべき、という理由については

父親が子育てに対して積極的になる、とかなんとか言われることが多いと思います

まあ確かに育休取るのと取らんのとでは

子育てに対する積極性が変わってくる気はしますが

重要なのはそこではなくて

仕事をしばらく休んだところで職場は回るし、自分はずっと働いている必要はない

と実感できたり

しばらく仕事をしない生活に慣れることで「仕事をしていないと何していいかわからない」みたいな人間を作るのを予防する

という点じゃないかなと思います

 

昔の日本の古いタイプの父親は

家庭よりも仕事優先

職場は終身雇用で転職はしないし、部署も大きく変わらない

みたいな人間が多かったと思います

今は仕事も住む場所も流動的になってきて

変化に適応していく必要性が高まっています

身の回りの変化ってやつを味わうために

育休を取ってみたらいいんじゃないでしょうか

 

法律で認められた制度なんだし

それをスムーズに取れるかどうか、で

自分の職場の将来性もちょっと測れるかもしれませんしね

 

終わります

自分の意見で生きていこう、のこと

ちきりんさんの新刊を読みました

なんか新しい本のレビューブログみたいな感じになってますが

感想を書いておこうと思います

 

ちきりんさんの本はシリーズ4作品とも持っていて

どれも自分では思いつかないというか

なんとなく感覚的にそんな気はするけどここまできちんと言語化はできていない

みたいなものが多くて

読んでいてとても勉強になります

新たな発見というか気づきみたいなものばかりで

値段の割にお得感がすごいです

 

で、読んでいる中で

僕が以前に担当した

40代女性の乳がんの患者さんのことを思い出しました

たまたま当院の検査で見つかった乳がん

他院の乳腺外科に依頼(当院は乳腺外科不在なので)して手術をしてもらい、完全に切除はできたものの

術後化学療法をしたほうがよさそうなタイプ(Luminal B、HER2陰性)であることが判明しました

通常なら術後1ヶ月程度で化学療法を開始するところですが

その人はもともと体質的に白血球が少なく

好中球(白血球の中で特に大事な役割を担うグループ)が平時でも1500/μLを切っているくらいでした

この数値は化学療法をするにはかなり危うい数値なので

化学療法を始めるかどうかかなり悩む状態です

 

好中球1500で普段通り過ごしていても何かが起きることは稀だと思いますが

化学療法が始まるとそういうわけにもいきません

我々医療者側が化学療法を始めるにあたって

最も心配な副作用が好中球減少です

(もちろん他にも注意する副作用はありますが)

好中球は人間の免疫の大部分を担う血球なので

これが減少した状態で細菌が体内に侵入すると

対抗する術がなく一気に状態が悪化し、敗血症になり

最悪の場合、死に至ることもあります

化学療法中の好中球数の目安として1500という数字がよく使われますが

(1500以上あれば一応セーフ、くらい)

治療開始前のベースラインが1500を切っているなら

化学療法を始めたらさらに下がってくるでしょう

どこまで下がるかは実際に治療を始めてみないとわかりませんが

がんを治すために治療を始めたら、好中球減少、敗血症で死亡しました、なんて

本人も家族も医療者もやりきれないですよね

 

この方は、手術をした病院から当院に

術後化学療法をお願いします、ということで紹介となりましたが

僕は

化学療法すべきかどうかの判断は難しいが、少なくとも当院で化学療法は行うべきではない

とお伝えしました

40代と若年であり、きっちり治療するなら通常は化学療法を行うべきです

当院より人材も設備も充実していて、有事の際の対応も万全、という施設でなら

好中球減少のリスクを十分理解した上で化学療法を行うのもアリだと思います

しかし、乳腺外科も血液腫瘍内科も不在、ちゃんとした陽圧個室管理も難しい当院で化学療法をおこなうのは、リスクの方が大きいと判断したのです

 

ちきりんさんの本でいうと

僕の判断は「意見」であり

正しいも間違っているもありません

ご本人にも

 

どういう選択肢をとるか、正解はありません

あなたがきちんと自分で調べて、考えて結論を出してください

誰かに言われてそうするのではなく、いろいろ自分で悩むというプロセスが大事です

 

とお伝えしました

ちょっと突き放したような印象かもしれませんが

(もちろん、この文面よりは優しくお伝えしたつもりですが)

こういったシチュエーションではこんな感じで伝えることが多いです

 

結局、この方は手術を行った病院(当院よりだいぶ遠く、通院は負担になる)で化学療法をすることに決めたようです

詳細は省きますが、本当のことを言うと、僕としてはこの選択が医学的にベストではないように思ったのですが

本人もあちこちの病院を行ったり来たりしてかなり悩んでいるようだったし

お金や家族のことなどの周辺事情もあるようなので

本人が自分で出した結論ならいいでしょうということで

特に反対せず治療をおこなってもらうことにしました

 

正解のない問題への対応

やっぱり難しいなと思います

医者をやってるとそういう問題への判断に迫られるときや

患者さんに判断してもらわないといけないときがちょいちょいあります

なかなか頭を悩ます問題ですが

ここをうまいこと対応できる医者が、今後も淘汰されずに残っていくのだろうなと思います

正解のある問題なんて、AIに任せとけばいいので

 

世の中のみなさんは

医者は頭がいい、というイメージがあるかもしれませんが

医者なんて大学受験のときにテストができれば誰でもなれます

医師国家試験なんてほとんど暗記なので、医学部に入る学力があれば普通は合格できます

つまり、医者になるときに試される能力は

正解を出す(選択肢から選ぶ)能力であって

正解の無い問いに対し、自分の意見を表明する能力なんて問われないわけです

医者の能力なんて本当にピンキリなんで

臨床能力のない医者にあたった患者さんは本当に気の毒だなと思います

 

まあとにかく

きちんと自分の意見を考えること

相手の意見を聞いてあげる(意見を作るのを手伝ってあげる)こと

今後も人間が働いていくうえで重要になってくるのかな、と思います

 

終わります

LIFE SHIFT 2とHumankind

あけましておめでとうございます

また1ヶ月以上更新が滞ってしまいました

まあいいか

続けているだけよし

 

世間は新型コロナの第6波かなんかで騒ぎ始めていますが

ヨーロッパやアメリカの状況を考えると

日本も後を追わざるを得ないでしょうね

弱毒化が進んだところで

感染者が増えるのであれば重症者も増えるわけで

医療が逼迫するのは間違いなさそうです

 

そんな年末年始の中

娘と2人で私の実家に帰省してました

本日帰省から戻ってきたところです

収穫としては

マトリックス レザレクションズを見られたこと

祖母に娘を会わせられたこと

父の頑迷さを実感し、私が地元に戻るのは当分先になる(というか無い?)な、と確信したこと

くらいでしょうか

 

まあそれはいいとして

ここ数日はそれなりに時間があったので

LIFE SHIFT 2

Humankind

を読みました

正直、LIFE SHIFT 2に関しては

そこまで目新しいことは書いてなかったな、という感想

全体的に「うんうん、そうだよね」という感じでした

Humankindに関しては

なんか素敵な内容の本だな、という感想

FACTFULNESSもそうだったけど

「私たちの世界はこんなに素敵なんだよ」と誰かに言ってほしい

と世界中の人が思っている、ということなんでしょうか

ただ、読んでいて一番衝撃だったのは

著者のルトガー・ブレグマンが私と同い年

ということでした

同い年の人間がこんなに世界的に売れている本を書いている

しかも、ジャレド・ダイアモンド、ユヴァル・ノア・ハラリの書いていたことと真逆の内容を盛り込むという、気概を感じる内容

、、いや、年齢というものにとらわれて考えている時点でだいぶ遅れをとっている感

うーむ

がんばらないといけないなあ

今月はちきりんさんの新刊も出るし

いろいろ考えさせられる年始です

 

とりあえず今年も

外科医以外の生き方、可能性を探して

努力を続けるつもりです

 

終わります

G検定感想と乳がん検診について

めちゃくちゃ開いてしまいました

ちょっと前から、書かないといかんなと思いつつ

でもG検定受けたし結果出てからにしよ、と思ってたら

こんなタイミングになってしまいました

 

で、G検定ですが

2021 #3を受験して

なんとか合格してました

受験中は知らん用語が出まくってて

なんやこれ勉強した意味あるんか、と思いながら回答してましたが

意外と正答率はよかったです

カンニングとか不正行為は禁止、的なこと書いてありましたが

どう考えても試験中の検索を織り込み済みとしか思えない問題ばかりでした

試験時間は2時間ありましたが全く余ることなく

むしろ見直しとか考えたらもうちょい時間欲しいくらいの試験で

公式教科書、スマホを駆使しながら必死で解いた感じです

 

これからE資格に向けて勉強するのか

試験勉強は一旦置いといてKaggleとか nand2tetrisの勉強をがんばるのか

ちょっと悩み中

プログラミングやPCの基礎的な勉強をすることは絶対に無駄じゃないし

どれやってもいいし

まあ気長にやっていきます

 

さて

最近の職場の話ですが

当院の外科で乳がんの一次検診を始められないか、という提案がどこかからあったらしく

マンモグラフィー読影の話になりました

当院の外科には乳腺外科医がいないので

乳がん検査、治療に関しては正直ちょっと苦手な部分があります

怪しければ乳腺外科の専門医がいる病院に紹介して

精査、治療をやってもらってる状況です

で、乳がん検診といえばまずはマンモグラフィーですが

マンモグラフィー読影には一応資格があって

当院にはこの資格を持っている医者はいないし、これまで通り一次検診は行わない方針でいきましょうか

という感じになりました

一応この資格を取ろうと思っている医者はいなくもないらしいですが

 

まあ今から当院で一次検診を始めなくても、とは思うので

この方針は別にいいんですが

今の時代にその資格を新規に取る意義って何かね?

と強く思いました

そもそも、マンモグラフィーみたいな

写真数枚から病変を見つけ、良悪性を判断する

その判断は確定的ではなく、ある程度怪しいものをひっかけて、二次検診につなげる

みたいな検査って

どう考えてもAIでいいでしょ

動的な要素も無いから対して複雑なプログラムじゃないし

全国どこでも同じレベルで検診が行える

技術にゆらぎのある、しかも人件費のかかる人間の医者を使うよりよっぽどいいと思うのですが

読影医の雇用を守る、とか考えてるんですかね?

まさに画像認識とか物体検出とか

CNNの得意とする領域だと思います

 

もしAIがすぐに導入できないとしても

きちんとした画質で画像を転送できる技術があれば

現場に読影医がいる必要なんてないでしょう

すでに資格を持った読影出来る人のところに画像送って見てもらえば事足りるのに

新たに資格取る必要ありますか?

今すでに資格を持っている人たちが数年頑張ってくれれば

さすがにAI診断が普及してくるはずです

ちょっと考えればそういう発想になりそうなものなのに

 

現状、この資格がないとこの仕事はできません、みたいなものはまだまだあるのかもしれませんが

今の制度に合わせて自分の今後の方針を決めるのは

愚策でしかないな

と思います

今後の変化を予測しながら自分の身の振り方を考える

が正しい態度だと思います

 

終わります

マジョリティでいること

アフターデジタルの続編2冊(青いのと黄色いの)

DX進化論

読みました

アフターデジタルの青いほうはちょっと実践的な内容過ぎて

あんまり今の自分とは重ねられませんでしたが

黄色いほうは結構な衝撃がありました

最先端なことやってる人たち

やっぱり考えてることが全然違うんだなーという感想

DX進化論も似たような感じでした

 

別に時代にキャッチアップしなきゃいけないわけじゃないし

社会でどんな変化が起きているか、起きようとしているか

知らないなら知らないで幸せなのかもしれないけれど

せっかくいろんな知識に触れる機会があるのだから

できるだけ情報拾いにいかないと人生もったいないような気がしてしまう

なので

これからも読書は続けていこうと思います

 

さて

日本の一昔前の教育、というか社会全体は

マジョリティでいることが正義であり

マイノリティに属すべきではない、というのが暗黙の了解だった気がします

例えば

男の子はちょっとのことでへこたれずに頑張るべき

女の子はおとなしく目立たず周りをたてるべき

将来を考えたら勉強を頑張って偏差値の高い大学に行くべき

大学を出たらできるだけ有名な上場企業に就職するべき

などなど

こういう考え方が一般的な(≒マジョリティの)考え方だったと思います

 

今は別にこれが絶対正しいわけじゃないよね、てのが広がってきてて

男の子だって弱くていいし

女の子がやりたい放題やったっていいし

勉強以外の道はいくらでもあるし

ベンチャー企業や地元の中小企業でも充実した人生は送れる

実際にこれを実行してる人はもしかしたら社会的にはマイノリティかもしれないけれど

マイノリティの考え方もまちがってない

 

たぶん今の大人たちは

頭ではそういう時代だとわかってはいるけれど

その考えにネイティブではないという状況

森喜朗さんとかがいい例ではあるけれど

「なんか多様性みたいなものを認めなきゃいけないのは知っている、だが感覚として腹落ちしてない」

みたいな

 

30代以上で割と社会的地位が安定している人の多くは

ずっとマジョリティの考え方でうまくいってきた人ばかりではなかろうか

「マイノリティの価値観を認めましょう」と言われて

多様性を受け入れるべきなのはわかっているけれど

これまでの人生で自分がマイノリティではなかったから

マジョリティからはずれることができない

 

でも今後の社会の変化は

あらゆるマジョリティを解体する

マジョリティなんてものは無くなり

数多のマイノリティの集合体になる

 

自分からマジョリティから外れる気なんて無かった人が

ある日それが幻であると気づく

そして

今の才能ある若い世代(マイノリティでいることに抵抗がない世代)には圧倒的に勝てないと悟る

それは個人としての力を使ってこなかったから

マジョリティである母体に属している安心感が失われて

個人の力が試されるようになるから

 

まあそんな感じの未来になる気がしてます

 

積極的にマイノリティになろうとするのは単なる天邪鬼なので

そういうんではなくて

自分がマイノリティであっても動じない

「個」というものを意識して生きていけたらいいかなと

思っています

 

なんか抽象的な内容ですね

 

終わります

パラリンピックのことと多様性のこと

まただいぶ開いてしまった

なかなか続かんなあ

反省

 

昨日男子車いすバスケットボールの決勝をたまたま見てて

めちゃくちゃいい試合でおもしろかったのと

閉会式のパフォーマンスもすごくよかったなと思って

ちょっとパラリンピックについて考えてみました

 

多様性を認めよう、てのは世界的な潮流だし

人種、性、障害、貧困などに対するあらゆる差別を無くそう

みたいなことに関しては完全に同意しますけど

それが進んでいった先には

オリンピックとパラリンピックの統合と

競技、部門、階級の細分化

があるということなのかな、と思います

 

義手や義足をその人の手足と考えるなら

車いすもその人の脚なわけで

そこを差別無く捉えるなら

そもそもオリンピック、パラリンピックって分けるのもおかしい気がしてきます

本人が、この競技なら自分はいけると思えば

障害のある人がオリンピックに出たり

健常人がパラリンピック出ても問題ないですよね?

もちろん、参加するにあたって条件は必要なので

ボクシングで体重別に階級が分かれるのと同じように

例えば

男女混合バスケ車いすなし、男女混合バスケ車いすあり、男子バスケ車いすなし、男子バスケ車いすあり、女子バスケ車いすなし、女子バスケ車いすあり

て感じでフラットに分かれていくことになるんじゃなかろうか

部門、階級でどんどん細分化されて

結果、それぞれの競技人口は減っていくのかもしれないな、と思いました

多様性を認めるようになっていった結果

みんなバラバラの方向を向いて進んでいくことになる、みたいな

 

別にそれが悪いとは思わないけど

多様性を認めるということと

みんな一緒に盛り上がるということは

両立が難しいでしょうね

 

スポーツで対戦して高いレベルで競い合うためには

やっぱりある程度の母集団が必要になる気がします

車いすバスケットボールはパラスポーツの中では花形な気がするし

めちゃくちゃゲーム性高くておもしろいと思うんですが

それはやっぱり競技人口が多いからこそ洗練されてきた部分があると思います

適切なクラス分けとルール設定

相当難しいよな、と思います

 

世の中は

1.マイノリティとは分断していたけれど、マジョリティはある程度まとまっていた

という段階から

2.マイノリティを含めて全体で統合する

というとこに行こうとしているけれど

3.マイノリティを含めて全体で統合したうえでまとまる

という段階にいくのは

すごく大変だろうな

 

世の中の差別を減らしていき

マイノリティを統合した結果

全体がまとまるのではなく

細かい分類がより鮮明に浮き上がっていき

結果、分断が進んだりして

 

よくわからなくなってきました

 

終わります

プロセスエコノミー

読みました

尾原さんの本は大体読んでいるので、内容についてはそこまで新鮮な感じは無かったけれど

おもしろかったです

グローバル・ハイクオリティでノーコミュニティ層か

ローカル・ロークオリティでコミュニティ層か

医療も同じだと思います

地方大学とかが臨床研究がんばる意義なんてもはや無いでしょうね

いや、日本で臨床研究なんてそもそもローカル・ハイクオリティにしかなり得ないのか

結局、中国とかのグローバル・ハイクオリティなとこが全獲りする感じになるのか

まあわかりませんが

とりあえず現在の僕の勤務病院なら

ローカルでコミュニティ層にアプローチしやすいので特に不満はないですが

でも来るべき未来に備えていろいろ勉強は続けます

 

G検定もAI実装検定も

なかなか道のりは遠いですね

特にG検定は全く聞いたことない事項がアホほど出てくるので

なんかうんざりしてきています

もうちょい楽しい内容だと思ったのになあ

AI実装検定はオライリー

ゼロから始めるDeep Learning

で勉強してますが

キカガクの動画で学んだことも多いので

わりと面白いし理解しやすいです

 

ふー

がんばろ

こんなことを書いて蓄積していけば

それはそれでプロセスエコノミーに発展するかもしれないし

いや、ないか

 

終わります